こんにちは、金子です^^
ネットニュースを見ていたら
『ペットロスは「大げさ」なんかじゃない』
という見出しに目が留まりました。
猫の行動や健康の専門家ジャクソン・ギャラクシーさんについての記事だったんですが、とても心に響く言葉がたくさん並んでいたのでご紹介させていただきます^^
- 『悲しむ機会が奪われてしまうことで、孤立感や孤独感にさいなまれてしまいます。』
悲しむ機会が奪われるとは、誰か・何かを失った時に、他人から堂々と受け入れてもらえない、あるいは社会的に認められないなど、人前で嘆くことができない悲しみのこと。
ペットを亡くした悲しみとは別に、その悲しむ機会が奪われてしまうこと自体が新たな悲しみとなるのです。
悲しみのすべてをひとりで抱え込まなくてもいいのです。目には見えない、人のネットワークがあります。
あなたがこれまで愛し、失ったすべての生き物は、あなたの心の中に今もいることを忘れないで。
その絆は今も存在しています。絆は、体と一緒に死んだりしません。
- 『あなたは「おかしくなった」わけでもなければ、「弱い」わけでも「子ども」なわけでも、「感情的過ぎる」わけでもありません。』
あなたは、このどれでもありません。ただ悲しんでいるだけなんです。
相手が爬虫類でも両生類でも哺乳類でも、愛に形は関係ありません。悲しみの深さを決めるのは、どんな関係であったか、どんな愛であったかなのです。
- 『愛する存在が死んだという事実に、『平気』だと思えるときが来ることはありません』
とは言っても、今感じている強さで続くこともありません。その強さは、10年、15年たってぶり返してくるかもしれませんが、あなたが生きていく中で変化し続けていきます。
- 『嘆くという行為は、内的な経験を外に向けて表現することです。』
もっとも分かりやすい嘆きの例は、泣くこと。
他には、儀式もあります。
死別がもたらす感情はときに、時間と関係しています。悲しむための社会的な儀式が今でも存在する文化では、特にそうです。
もう1つの例は、失った存在について人と話し合うというものもあります。
- 『あなた自身ができる行動として、「悲しみを受け入れる」ことがあります』
まず、今経験している喪失の大きさと強さを認めます。(前述した通り)愛と悲しみは正比例することを思い出しましょう」
なので、たくさん愛したのなら、たくさん悲しむということを受け入れてください。
- 『心は無力になるよりも罪悪感を抱くものである、と知っておきましょう。』
みじめな気持ちになっているときは常に、あなたの心の中には空想の世界が広がっていて、そこではあなたが愛する動物が、今も生きています。
理性は、死が実際に起きたと理解しています。しかし自分の理性以外の部分が、死を現実であってほしくないと思っていると理解するまでには、長い時間がかかります。
だいじょうぶ、あなたは1人じゃありません。みんなで悲しんで、受け入れて、あのこと過ごした日々を大切に生きていきましょう。